08春一より

イトウと岩魚2足のわらじ

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北海道のイトウと岩魚
北海道のイトウ
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北海道は険しい山内に流れる小さな沢に姿を見せたエゾサンショウウオ。サラサラと心地いい瀬音を吹き流す水面を覗くと、産んで間もない真っ白な卵嚢が小枝に付いて揺れている。毎年のことながら、この瞬間をもって春を見つけた〜と実感できるのは今も変わりない。袖をまくり水に手を入れると冷たいつめたい4℃、落ち葉が堆積する箇所に手を入れ感触を頼りに、あのヌルリとした肌触りを探るとオスが数匹・・・

これからイトウの動きが森で始ってくる季節です。このサイトに訪れる方の多くは釣り人?だと思います。保護活動が盛んになってきている今の現状で、産卵期だからこの時期は釣りは控え(観察)だけに止めましょうという、一般的に私たち大衆に自粛を求める以上に実態はよろしくありません。今後の問題は大きいということを解って欲しいです。

地元からの誤った無恥で無知な発信は己とこれからの(釣り)という行為すら、産卵床に立ち込むことにより荒廃してしまうという事態が今後、発生した場合、私の大好きな釣りという行為すら出来なくするという訴えに全力を注がなければなりません。知識があろうが無かろうが特定の場所に人が集中するということ、ましてや観察だから構わないと流域間に立ち込まれると、その場所に大きなストレス、圧力が加わることになります。相手は野生生物です。イトウを愛しく「釣り」という接し方でこれから長く求めるのなら、その時と場所をわきまえ辛抱して頂くしかありません。それが出来ない人が目立ったとき、私はあらゆる手段をもて倫理的、全面保護、禁漁するべきだと訴えていくしかありません。それが、このサイトを公開した責任でもあり宿命だと思っています。本当に世知辛い時代で、これが今、置かれている問題です・・・

早春のブナの谷で行者ニンニク採り。微熱から始った風邪は鼻水がしつこく、治りがけの現在も咳きがまとわりつき、なかなか完治しない。それでも思い立つとなんとしてでも山へ行きたい、その時にふと脳裏に浮かんだ人がこの近所のおじさん。そう言えば知り合いの多くで現在も連絡を取り合う年代は還暦を迎える前後のおじさんばかりで同年代は二人しかいないか?当時を聞く過去に強烈なドラマがあるのは”おじさん”やおばさんと呼ばれる年代の方が魅力あって人間らしさを感じる・・・

北海道は美深町出身、現在は札幌で一家の主である1人のお父さんは愛する奥さんと、その間に生まれた二人の娘を持つ平凡なおじさん?と言いたいところだが、過去に脳梗塞を患い生死をさ迷い正に奇跡の生還をしたという出来事を聞くと・自分の脳が百八つ、これが一つずつバラバラに飛び散っていき意識が遠のいていく最中、三途の川を渡りきる前に背後から次女に名前を呼ばれた瞬間、分散してゆく脳の破片が一つずつ戻り始め、病室で意識を取り戻し、気が付くと手を握っていたのは実のお姉さんだったという。

話しの節々で口にするのは’俺バカだから’馬鹿だからさあって至らなかった若き日々を語り、生涯の前半を語るかつてと今を会話する私にとっては小説や映画を見るよりもドラマチックで心に響く。新たな時代を迎えるたび新成人が社会に出て、科学、最先端の技術が先見するのも、その先人による礎の基でいまがあるということ敬い自惚れてはいけない。

美深といえば道内で最も寒さが厳しい地方で、とにかく貧しかった当時、小学6年という年頃に一周間もつづいた−30℃という気温、−42.7℃という記録的な寒さを経験した幼少に、毎朝、20cm前後に薪を斧で子供が一日、百本も!それが嫌でいやで仕方がなく、ある時、兄弟6人で家出を計画し、無一文で冬の浜頓別町を目指し汽車に飛び乗り、着いた先の初日の晩は畑に積み上げられる藁に1人が入れるだけの穴を開けそれぞれが一夜を明かし、翌朝は空腹を満たすために二手に分かれ明日の食料を調達しようと町を徘徊したというが、一方の3名が町の駐在さんに保護されたことにより、後に6名が駐在所で世話になり、そのとき空腹を満たしてくれた芋の味が今でも忘れられないと語る。その後、美深町の担任であった先生に安否が届き、お互い育ての母の元へ引き戻されることになったという。そんな話しを聞くたびに、その時代を生きた人と現代人の人生にはあまりにも大きな差がある・・・

こらから先、またまた私のイトウ物語が始る。その後の更新は・・・・・・・5月以降になります・・・